190720⑯「静かなる暁」終章

方丈記の最終章。前半は京都を襲った大災害(五大災厄)を描写し、後半は方丈の庵での生活と、

考えを記している。

 

「朗読1」

それ、三界はただ心一つなり。心もしやすからずは、象馬、七珍もよしなく、宮殿、楼閣も望みなし。今さぞしきすまひ、一間の庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でて、身の乞丐(こつがい)となれることを恥づといへども、帰りてここに居る時は、他の俗塵に馳することをあはれむ

もし、人、この言へることを疑はば、魚と鳥との有様を見よ。魚は水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林を願ふ。鳥にあらざれば、その心を知らず。閑居の気味もまた同じ。住まずして、誰か悟らん。

そもそも、世界は、ただ心の持ちようである。心がもし、穏やかでないならば、象・馬・宝物もつまらない。宮殿も楼閣も欲しいとは思わない。今、淋しい住まい、一間だけの庵、自分はこれを大切にしている。たまに都に出て、自分が乞食のようになっていることを恥ずかしいと思うが、帰って、ここに居る時は、人が俗塵にまみれていることを気の毒に思う。

もし、こう言うことを疑うならば、魚と鳥の様子を見なさい。魚は、水に飽きることはない。魚でないと、その心は分からない。鳥は林に住むことを願う。鳥でなければ、その心は分からない。閑居しているのも同じことである。庵に一人で住んでみないと、誰も理解できない。

 

・三界 仏語 人が輪廻する三種の世界。欲界・色界・無色界。「女三界に家無し」

・「住まずして、誰か語らん」→西行「山家集」1632番に典拠

  「山深くさこそ心は通うとも住まであわれは知らむものかは」

「朗読2

そもそも一期の月影傾きて、余算の山の端に近し。たちまちに三途の闇に向かはんとす。何のわざをかかこたむとする。仏の教へ給ふ趣は、事にふれて執心なかれとなり。いま、草庵を愛するも、閑寂に着するも、さはりなるべし。いかが要なき楽しみを述べて、あたら時を過ぐさむ。

さて一生の月が傾いて、余命は短く山の端に近い。瞬く間に死に向かおうとしている。なんについて、不平をいおうか。

仏の教えは、何事にも執着する心を持つなということである。今、草庵を愛することも、ひっそりと静かさを望むのも罪である。不要な楽しみを述べて、せっかくの時間を過ごしてはならない。

 

・「山の端」→ 山の稜線の下。「山際」→空が稜線に接する部分。

 枕草子でも使い分けている。

三途(さんず) 悪行をなした者が死後向かう三つのあり方。()()(地獄道)()()(畜生道)(とう)()(餓鬼道)

     六道 死後赴く道。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天

・かこつ(託つ)  他の所為にする。嘆く。

「朗読3

静かなる暁、このことわりを思ひ続けて、みづから心に問ひていわく、「世を遁れて、山林にまじはるは、心ををさめて道を行はむとなり。しかるを、汝、姿は聖にて、心は濁りに染めり。すみかは、すなはち、浄名居士の跡をけがせりといへども、たもつところは、わづかに周利槃特が行ひにだに及ばず。もしこれ、貧賤の報いの、みづから悩ますか、はたまた、妄心のいたりて狂せるか」そのとき、心さらに答ふることなし。ただかたはらに舌根をやとひて、不請の阿弥陀仏、両三遍申して止めり。時に建暦の二年、三月の梅ごろ、桑門の蓮胤、外山の庵にして、これをしるす。 

静かな明け方。この道理を思い続けて、自分から心に問うて、「世間を遁れて、山林に住むのは、心を修行して、仏道を行おうとするためである。それなのに、お前は、姿は僧で、心は世の中の煩悩に染まっている。住んでいる所は、浄名居士の住居を真似ているといっても、やっていることは周利槃特の修行にも及ばない。これは貧しいせいでみずから悩んでいるのか、それとも、迷った心が狂ってしまったのか。」その問いに答えることは出来なかった。ついでに、口でしぶしぶ阿弥陀仏と二三回唱えて止めた。時に建暦二年三月の梅の時、僧「(れん)(いん)」が、外山(日野山の別称)で、これを記す。

 

・浄名居士 釈迦の弟子 維摩居士ともいう。

周利槃(しゅうり判断)(とく) 釈迦の弟子で、一番愚かとされた。掃除専一で悟りを得たとされる。

・舌  六根の一つ(目・耳・鼻・舌・身・意)  人間に迷いをもたらす原因→六根清浄

 

「まとめ」 

方丈記は、これで終了。次回以降は、まとめと「方丈記」に関する話となる。

 

「コメント」

長明の文章は、当時の古典や著名人の書物に典拠を持つ部分が多いことが、解説でよく分かった。知識人であり、読書人、更には大いなる好奇心を持つ人であったのだ。長明で、来年三月までどうやって持たすのか、興味深い。