190824㉑「長明の半生 其一『出生と父の死』」

長明は7歳で従五位下と高位の官名を高松女院(父は鳥羽天皇)から貰う。異例の昇任。19歳の時に父を亡くす。

「父死去を嘆く歌」 「鴨長明集」に出ている。大意

・春はいつも巡ってくる。今年も花が咲いたが、散るのを惜しんでいた人()はどこへ行ったのだろう。

・他人からのお悔やみも月並みで、私の本当の悲しみが深いのを人は知らない。

・生きているのも嫌だ。今から死者の世界へ行こう。(父に会いに)

以上の歌を、詠んだ人が、慰めて歌った歌。

・生きているのが嫌だなんて言わないで下さい。死ぬことなどしないで下さい。この世で親の跡を継ぐのだから。

 

これに対して

・私の事に同情しているのであれば、私の死にたいということを留めてくれるな。

「父喪失の衝撃」  後ろ盾を失ったとされる。

・長明は父の死で、大きなショックを受けて、死にたいと言った。19歳でいわば成人となっているのに、この悲嘆振りはすこし異常である。又当人も周囲も、「みなし子」になったと言っている。

・方丈記に、「父方の祖母の家で育った」とある。母の姿が全く見えない。

・普通ではない父と子の関係が窺われる。ファザコン?

「高松女院の死」  鳥羽天皇の内親王で、もう一つの後ろ盾

可愛がってもらっていた女院が、父の死後すぐ、長明22歳の時に死去。これも大きな悲しみとなる。

・「無名抄」 長明の歌論書にこの事に触れている。和歌の故実・心得・幽玄論・・・・

 私は高松院の菊の歌合せで、次の歌を出そうとした。

 「人知れぬ涙の川の瀬をはやみ崩れにけりな人目堤や」→人には分からない涙の川の流れが速い

  ので、人に隠しいた恋心が、現われてしまった」

 

 ある人が、この崩れるという意味は、高貴な人が死去することを意味するので、使ってはいけないと

 いわれた。

 別の歌を出したが、この歌会の後、お世話になっていた高松院が亡くなった。

「高松院死去と長明の不思議な話」

・噂で、高松院が密かに出産したということがあり、長明はこれを聞かれて次の意味の歌を作った。

→私は何とも言いかねる。身分の高い人の子供だからおめでたいことですね。と、言いにくそうに

 言っている。

 

・「待てしばし漏らしそめても身の程を知るやと問はばいかが答へむ」 鴨長明集

 一寸まてよ。うっかり想いを打ち明けたら、あなたは身の程を弁えてるの聞かれたら、どう答えよう

 か。

これは、身分のある女性への恋を暗示しているのではないか。そして、それは年上の高松院では。

 

「コメント」

方丈記で、父の死の衝撃と嘆きを読んで、違和感があったが、それは私だけではなかった。

その原因探しが歴史的になされていたのだ。