201003更級日記㉓「晩年の日々、夫との死別」

更級日記もいよいよ大詰めである。夫は56歳で信濃国司になって下向する。現地で健康を害し、帰京し半年で亡くなる。今日は夫との死別の場面を読む。

「朗読1」物語などにうつつを抜かさないでちゃんとやっていれば何とかなっていた。50歳になって健康にも自信が無くなってきた。待ちに待っていた夫の国司が決まる。信濃。遠くて残念であったが、出発の準備に追われた。

「原文」

「世の中にとにかくに心のみつくすに宮仕へとても、もとは一筋に仕うまつりつかばやいかがあらむ。時々たち出でば、なになるべくもなかめり。年はややさだ過ぎゆきに、若々しきようなるも、つきなうおぼえならるるうちに、身の病いと重くなりて、心にまかせて物詣でなどせしこともえせずなりたれば、わくらばのたち出でも絶えて、長らふべき心地もせぬままに、幼き人々を、いかにもいかにも、わがあらむ世に見おくこともがなと、臥し起き思ひ嘆き、たのむ人のよろこびのほどを、心もとなく待ち嘆かるるに、秋になりて待ち出でたるようなれど、思ひしにはあらず、いとほいなくくちおし。親のをりよりたちかえりつつ見しあづま路よりは近きように聞こゆれば、いかがはせむにて、ほどもなく下るべきことどもいそぐに、門出はむすめなる人のあたらしく渡りたる所に、八月十余日にす。後のことは知らず、そのほどの有様はもの騒がしきまで人多く勢ひたり。

「現代語訳」

世間の煩わしさに気苦労をしてきたが、もっと宮仕えに打ち込んでいたらひとかどになっていたかも。年を取って若々しく振舞うのも気がひける。自分の健康も思わしくなく、物詣も出仕もやめてしまった。長生きの自信もなくなったので、子供たちの行く末が気になる。秋になって待ちに待った夫の任官が決まる。信濃国司。遠いのは残念だけど、父の任地よりは近い。そして下向の準備に追われるようになる。

「朗読2」信濃に赴任する夫と息子が出発していく。信濃は遠くないので、あまり心配しなかった。

「原文」

「二十七日に下るに、をとこなるは添いて下る。紅のうちたるに、萩の襖、紫苑の織物の指貫着て、太刀はきて、しりにたちて歩み出づるを、それも織物の青鈍色の指貫、狩衣着て、廊のほどにて馬に乗りぬ。ののしり満ちて下りぬる後、こよなうつれづれなれど、いといたう遠きほどならずと聞けば、さきざきのように心ぼそくなどはおぼえであるに、送りの人々、またの日かへりて、「いみじうきらきらしうて下りぬ。」などいひて、「この暁にいみじう大きなる人だまのたちて、京ざまへなむ来ぬる」と語れど、供の人などのにこそと思ふ。ゆゆしきさまに思ひだによらむやは。

「現代語訳」

8月二十七日、我が子は父について一緒に下向した。二人とも立派な様子で馬に乗って出発した。大騒ぎして出発の後はすることもなく所在なかった。信濃はたいして遠い所でないと聞いて、父の赴任の常陸の時ほど心細くは思わなかった。

送りに行った下人たちが次の日帰ってきて「とても立派な出発でした。」と言って「この明け方にとても大きな人魂が京の方に飛んでいった。」といった。その時は、不吉な予兆とは思っても見なかった。

「朗読3」夫が翌年に亡くなる。

「今はいかで、この若き人々おとなびさせむとおもふよりほかのことなきに、かへる年の四月に上り来て、春秋も過ぎぬ。

九月二十五日よりわづらひ出でて、十月五日にゆめのように見ないて、思ふ心地、世の中にまたたぐひあることもおぼえず。これにこそはありけれ。うれしげなりけむ影は、来しいかたもなかりき。今行く末は、あべいやうもなし。二十三日はかなく雲煙になす夜、去年の秋、いみじくたてかしづかれて、うち添ひて下りしを見やりしを、いと黒き衣の上に由々しげなる物を着て、車の供に、泣く泣く歩み出でてゆくを、見出して思ひいづる心地、すべてたとへむかたなきままに、やがて夢路にまどひて思ふに、その人や見にけむかし。

「現代語訳」

今は、何とか幼い子供達を一人前にしようと思う他に考えることもなかった。夫は翌年の四月に帰京し、春秋は過ぎたが、九月から病みついて十月五日に臨終を看取った。悲嘆の気持ちはほかに比べるものが無いほどである。母が初瀬に鏡を奉納した時、私が泣いて悲しんでいる姿が見えたと言ったが、この事だったのだ。もう一つ嬉しがっている姿も映っていたが、それは今までも無かったし今後もないであろう。十月二十三日、火葬の夜、息子が去年、立派な姿で父に従って下向したのを見送ったのに、今日は喪服を着て歩くのを見てあれこれと昔のことを思い出す。その気持ちは何とも言い難く、夢のように打ちひしがれているのを夫は見ていることだろう。

「朗読4」物語や歌ばかりにに熱中していたので、こんな辛い目に合うのだと以下、自分の人生を反省している。

「昔より良しなき物語、歌の事をのみ心にしめで、夜昼思ひて、おこなひをせましかば、いとかかる夢の世をば見ずもやあらまし。初瀬にて前のたび、「稲荷より賜ふ験の杉よ」と投げ出でられしを、出でしままに、稲荷に詣でたらましかば、かからずやあらまし。年ごろ、「天照御神を念じたてまつれ」と見ゆる夢は、人の御乳母して、内裏わたりにあり、みかど、后の御かげにかくるべきさまをのみ、夢ときも合わせしかども、そのことは一つかなはでやみぬ。ただ悲しげなりと見し鏡の影のみたがはぬ、あはれに心憂し。かうのみ心に物のかなふ方なうてやみぬる人なれば、功徳つくらずなどしてただよふ。

「現代語訳」

昔から愚にもつかない物語や歌に熱中せず、夜昼勤行でもしていたら、こんなにはかない世を見ずに済んだであろうに。初瀬参拝の時、「稲荷から頂いた杉だ」と投げ出された杉の枝を持って、稲荷に参拝していたらこんな不幸に合わずに済んだのであろう。長年、天照大神を念じなさい」といわれてきたが、内裏で高貴な方の乳母になる為とばかり思ってきたが、それは全く当たらず、私が悲しそうにしているという姿だけが、的中したのはつらいことだ。このように一事が万事、思うようにならず一生を終わる人間なので、功徳もなども積まずただ暮らしている。

 

「コメント」

作者は50歳前後で老いによる健康問題、子供の将来への不安そして夫の死を迎える。そして自分の人生を振り返って物語や歌に熱中して色々な事をないがしろにしたと反省している。

しかし作者は実に恵まれた人生で、それらの問題はどんな人でも避けては通れないことなのである。 

良い所の御姫様が、お気楽な奥様になり、好きなことをして、晩年になってああしとけば、こうしとけばと無いものねだりをしている印象である。