210710蜻蛉日記⑮「道綱、弓で活躍」

天禄元年 970年。前年に安和の変、天皇が冷泉から円融に代替わり。15歳の道綱は、童殿上に

任じられ、宮中の清涼殿の出入りを許された。3月に賭弓(のりゆみ)が行われることになり、道綱がメンバ-に撰ばれた。今回は、作者の息子自慢の巻である。

 

「朗読1」宮中の催しで、賭弓があり、道綱が出場することになった。組が勝てば、道綱が舞を舞うことになるので、練習に大童。練習試合で賞品を貰って帰ってきた。素晴らしいと我が子を眺める。

三月十日のほどに、内裏の賭弓のことありて、いみじくいとなむなり。幼き人、しりえの方にとられて

出でにたり。「方勝つものならば、その方の舞もすべし」とあれば、このごろは、よろづ忘れて、この事を急ぐ。舞ならずとて、日々に楽をしののしる。出居につきて、賭物とりてまかでたり。いとゆゆしとぞ見る。

「現代語訳」

三月十日頃に、内裏で賭弓があって、その準備が大童でなされているという話であった。道綱が、後手組に撰ばれて出ることになった。「その組が勝ったら、舞をしなければならない」という事で、この頃は全てを忘れて、その準備に追われている。舞の練習をするという事で、毎日音楽を奏して騒いで

いる。弓の練習で、賞品を貰って帰ってきた。とても素晴らしいと、我が子を眺める。

 

「朗読2」舞の予行演習の場面

十日の日になりぬ。今日ぞ、ここにて試楽のようなることする。舞の師、多好茂、女房よりあまたの物かづく。男方もありとあるかぎり脱ぐ。「殿は御物忌なり」とて、をのこどもはさながら来たり。事果てがたになる夕暮に好茂、胡蝶楽舞ひて出で来たるに、黄なる単衣脱ぎてかづきたる人あり。

折にあひたるここちす。

「現代語訳」

十日になった。今日は、私の所で、舞の予行演習をやる。舞の師正の多好茂が、女房達から多くのかづき物を受ける。男達も着ているものを脱いで与える。召使が「殿さまは物忌です」と言って、あの人は来ない。召使たちは全員来てくれる。今日の行事が終わり頃になった夕暮れに、好茂が胡蝶楽を舞ったが、それに黄色の単衣を脱いで与える人がいて、如何にも場面に合った心地がした。

 

「朗読3」本番並みの総仕上げの会を、兼家の邸で行う。作者は参加していないので、気掛りで

      あった。

また十二日、「しりえの方人さながら集まりて舞はすべし。ここには、弓場なくて悪しかりぬべし」とて、かしこにののしる。「殿上人数を多くつくして集まりて、好茂埋もれてなむ」と聞く。われはいかにいかにとうしろめたく思ふに、夜更けて、送り人あまたなどしてものしたり。

「現代語訳」

また、十二日に、「後手組の人々が全員集まって、舞の総仕上げを行う。我が家には弓場が無いので、都合が悪いだろう」という事で、あの人の邸で大騒ぎになった。「殿上人が大勢集まって、好茂はかづき物で埋まってしまった」と聞く。

私は、我が子はどうだろうと気をもんでいると、夜更けに、大勢の人に送られて帰ってきた。

 

「朗読4」あの人がついてきて、息子は立派だったと言う。当日は朝早く来て、面倒を見ると言う

      のでとても嬉しかった。

さて、とばかりありて、人々おやしと思ふに、はひ入りて、「これがいとらうたく舞ひつること語りになむものしつる。みな人の泣きあはれがりつること。明日明後日、物忌、いかにおぼつかなからむ。五日の日、まだしきに渡りて、ことどもはすべし」など言ひて、帰られぬれば、常はゆかぬここちも、あはれにうれしうおぼゆることかくぎりなし。

「現代語訳」

それから暫くして、人が変に思うのに、あの人は物忌にも拘らず、私の所に来て、「この子が実にいじらしく立派に舞ったこと。皆が涙を流して感動した事。物忌中だけど、当日の朝早く来て、あの子の世話をするよ」と言って帰って行った。いつもは、満足できない私の気持ちも、とても嬉しく思われた。

 

「朗読5」円融天皇の前での試合。引き分けで、道綱も活躍。皆で帰ってきて、

     お祝いで大騒ぎとなる、とても嬉しい。

その日になりて、まだしきにものして、舞の装束のことなど、人いと多く集まりて、し騒ぎ、出だし立てて、また弓のことを念ずるに、かねてより言ふよう、「しりえはささとの負けものぞ。射手いとあやしうとりたり」など言ふに、舞をかひなくやなしてむ、いかならむいかならむと思ふに、夜に入りぬ。月いと明ければ、格子などもおろさで、念じ思ふほどに、これかれ走り来つつ、まづこの物語をす。「いくつなむ射つる」「敵には右近衛中将なむある。「おほなおほな射伏せらけぬ」
とて、ささとの心に、うれしうかなしきこと、ものに似ず。「負けものとさだめし方の、この矢どもにかかりてなむ、持になりぬる」と、また告げおこする人もあり。持になりにければ、まづ陵王舞ひけり。それもおなじほどの童にて、わが甥なり。

ならしつるほど、、ここにて見、かしこに見など、かたみにしつつ。されば、次に舞ひて、おぼえによりてにや、御衣賜りたり。内裏よりはやがて車のしりに陵王も乗りてまかでられたり。ありつるよう語り、わが面をおこしつること、上達部どものみな泣きらうたがりつることなど、かへすがへす泣く泣く語らる。弓の師呼びにやり、来てまたここにてなにくれとて、

物かづくれば、憂き身かともおぼえず、うれしきことはものに似ず。
その夜も、のちの二三日まで、知りと知りたる人、法師にいたるまで、若君の御よろこび聞こえに聞こえにと、おこせ
言ふを聞くにも、あやしきまでうれし。

「現代語訳」

当日になると、あの人は朝早く来て、舞の装束の事など、大勢の人と一緒に、大騒ぎで整え、送り出した。私は、弓の試合のことなど祈りながら、前評判では「後手組は、勝ち目がない、選手の選び方がまづい」などという事なので、折角の舞の練習も無駄になるのかしらと、どうなるだろうと心配している内に夜になった。月がとても明るいので、格子も下ろさず祈っていると、召使が走ってきて、色々と

都度報告をしてくる。若君は右近衛中将に勝ちましたなど。

前評判を気にしていたので、嬉しく、よくやったと思う気持ちは例えようがない。「負けるものと思われていた後手組が若君のお陰で引き分けになりました」と報告がある。引き分けになったので、先手組から、先に舞った。同じ年頃の私の甥である。練習の間も、あちらを見たりこちらを見たり、お互いにしていたのだ。次に我が子が舞って、好評で天皇から御衣を賜った。内裏から、あの人が甥も乗せて退出してきた。状況を語ってくれ、面目をほどこしたこと、上達部たちが皆泣いて感激した事など繰り返し、泣く泣く語ってくれた。弓の師匠を呼びにやり、褒美をあげたりするので、辛い身の上を忘れて、うれしいことは限りないのである。

その夜は勿論、二三日過ぎまで、知っている限りの人が、法師に到るまでお祝いを言いに来てくれた。それを聞くにつけても、不思議なくらいに、とても嬉しかった。

「コメント」

 

いつの時代も、母親は息子の活躍が嬉しいものだ。