25027 明石の巻(2)

前回は明石の巻の前半を取り上げた。今回はその続きで明石の巻の後半について読む。前回の

放送の最後に、須磨の地の嵐から仏法の導きで脱出した光源氏が、明石の地に移り住んだこと。

その事によって光源氏の周囲に文化が帰って来たことを話したが、その文化とは具体的にどのようなものであろうか。次の部分を読む所から始める。

朗読① 四月になって更衣の季節。入道は色々とお世話をする。光源氏はここまでしてくれる

          かと恐縮するが入道は意に介さない。今日もお見舞いが色々届く。

四月になりぬ。更衣(ころもがえ)の御装束、御帳の帷子(かたびら)などよしあるさまにしいづ。よろづに仕うまつり営むを、いとほしうすずろなりと思せど、人ざまのあくまで思ひあがりたるさまのあてなるに、思しゆるして見たまふ。京よりも、うちしきりたる御とぶらひども、たゆみなく多かり。

 解説

光源氏は明石の地に移り住んでほっと一息をつく。四月になりぬ。 夏がやって来た。そうなると

更衣(ころもがえ)の御装束、御帳の帷子(かたびら)などよしあるさまにしいづ。

更衣(ころもがえ) で夏に相応しい衣服が用意され、御帳の帷子(かたびら)などよしあるさまにしいづ。 カーテンなど、そうしたものも夏向けに変えられる。都ではごく当たり前に行われていたが、須磨ではそのような事は望むべくもなかった。そうした都の世界同質の貴族らしい生活と当たり前の日常が、光源氏の周囲に戻ってきた訳である。そうして光源氏の生活にも余裕が生まれる。物質的な事だけではない。気分的な精神的なゆとりが生まれる訳で、この明石の巻の後半で初めてをわざわざ都から持ってきたにも関わらず、これまであまり手を触れることの無かった次の物に光源氏の手が伸びるのも、そのような

余裕ゆとりがなせる技といって良い。

 

さてその光源氏が都からわざわざ持ってきたもので、ここで初めて袋の中より取りだしたは何であろうか。

朗読② 久しく手に触れなかった琴を袋から出して少し弾く。広陵という曲を弾いていると、

          入道の家まで聞こえる。心得のある女房達は身に沁みて感じる。

久しう手ふれたまはぬ琴を袋より取り出でたまひて、はかなく搔き鳴らしたまへる御さまを、見たてまつる人もやすからずあはれに悲しう思ひあへり。

広陵といふ手をあるかぎり弾き澄ましたまへるに、かの岡辺(おかべ)の家も、松の響き波の音にあひて、心ばせある若人は身にしみて思ふべかめり。

 解説

今の文章に 琴 と出てきた楽器に注目したい。それは楽器の 琴 の種類であるが、琴 と書いて きん と音読みする。

七絃でその奏法は非常に複雑で、「源氏物語」が実際に書かれた一条朝(1000年頃)には、弾きこなす人が既にいなかったと言われる、中国伝来の幻の楽器である。「源氏物語」の中では、その幻の

楽器の 琴 が何人かの登場人物たちによって演奏される様が描かれる。殊に光源氏はその演奏に長け、彼をもって第一人者という腕前であった。彼は須磨に退去する際に、心の慰めとしてこの 琴 を持ってきたのである。しかし過酷な、切迫した生活の中では、 を弾く余裕はなかった。その 琴 を光源氏は袋から取り出して久し振りに奏でる。その光源氏の妙なる 琴 の音色が明石の浜に

響く。更には風に乗って岡辺の宿にも届く。明石の入道は光源氏の為に浜辺に舘を用意して、光源氏はそこに住んでいる。

前回の放送で話した入道の娘のことである。「よいか、そなたが私の死後、高貴な方と結ばれることが叶わず、この辺りの田舎者の妻になんか収まるようなことがあれば、その時には潔く海に入れ」という強烈なメッセ-ジを申し渡した娘。

この入道の娘はこの後の物語の中で、明石の君とか明石の御方など呼ばれるようになるので、今後明石の君と呼ぶ。この明石の君は光源氏のいる岡辺の館から離れた岡辺の宿に住んでいる。

話を光源氏の  に戻して、その岡辺の宿にまで、光源氏の奏でる 琴 の音色が松風に乗って響く。その音色は入道の心を揺さぶる。先程読んだ場面に書かれていたことである。この入道は音楽の道に詳しいらしく、仏道修行に専念しなければならないのに、それを離れて光源氏のもとにやってくる。涙を浮かべながら、大層感激した旨を伝え、岡辺の宿から琵琶と(そう)を取り寄せる。(そう) は 琴 の一種である。光源氏も自分の得意の楽器 琴 の腕前を分かってくれる人と久し振りに出会って心が躍った。入道も昔取った杵柄で琵琶を手に合奏したと後の文章に書かれている。

そこから光源氏は入道に勧められるままに(そう)を演奏するが、それも格別であった。

 

そこから二人は音楽談議に興ずることになり、光源氏は終に何の気もなしにあくまで一般論として、

こんな持論を入道に漏らす。

朗読③ 入道が(そう)を見事に引いているのを見て光源氏は、この(そう)は女人が優しく弾くのが良い

           と何気なく言う。

()もいと二なう出づる琴どもを、いとなつかしう弾き鳴らしたるも、御心とまりて、「こりは、女のなつかしきさまにてしどけなう弾きたるこそをかしけれ」とおほかたにのちまふを

 解説

光源氏は言う。「筝はやはり女の人が手にするにふさわしい楽器です。」つまり入道の勧めで、ついつい筝を演奏してしまったが、その事については一寸やり過ぎたと、光源氏は恥じらったのである。

しかしそこから話は思わぬ方に展開していく。

 

入道は光源氏の言葉を引き受けるように、こう言葉を継いだのである。

朗読④ 不甲斐ない身ですが時折かき鳴らします。真似をするもの()がいますが、自然と私の先生の前大王に似たのでしょう。それをそっとお耳に入れたく存じます。

かうつたなき身にて、この世のことは棄て忘れはべりぬるを、ものの切にいぶせきをりをりは搔き鳴らしはべりしを、あやしうまねぶ者のはべるこそ、自然(じねん)にかの前大王の御手に通ひてはべれ。山伏のひが耳に松風を聞き私ははべるにやあらん。いかで、これ忍びて聞こしめさせてしがな」と聞こゆるままに、うちわななきて涙落とすべかめり。

 解説

入道は言う。「ええ、筝は女の人の(たしな)むべきものかも知れませんが、実は心がすっきりしない時に、筝をかき鳴らし慰めとしたものです。そのせいでしょう。その音色を聞いているといつの間にか、私以上に達者に弾くものがおります。ここで初めて光源氏と入道の娘とが、一本の線で結ばれた。光源氏は「そんなにお上手ならいつか聞いてみたいものです」

 

さらにこの話は続く。

朗読⑤ 世の中で上手といわれる人も上滑りで、あなたのような本格的な奏法を継いでおられ

          るなら聞きたいものです。

すべてただ今世に名を取れる人々、かきなでの心やりばかりにのみあるを、ここにかう弾きこめたまへりける、いと興ありけることかな。いかでかは聞くべき」とのたまふ。「聞こしめさむには何の(はばか)りかはべらん。御前(おまえ)に召しても。」

 解説

入道は言う。「いつか機会があったならなどとご遠慮下さるには及びません。あなたが実際にお聞きになるのに何の憚りがありましょうか。御前(おまえ)に召しても。普通ではこんなことは考えられないと云って良いであろう。自分の娘をを自ら目の前につれて参りますと言わんばかりの言葉である。明石の入道が如何に必死なのかが分かる所である。しかしそれは別にしても、入道の娘の音楽の腕前は相当なもののようである。それほどの腕前なら、是非聞いてみたいとの思いが、光源氏と明石の君の距離を近づける。「源氏物語」には光源氏と姫君たちとの様々な出会いがあるが、ここまで出てきたどの女君とも違う出合い方である。音楽で出会うことになる。

 

ここで娘の女君について入道に語らせる。先ずは前半部分である。

朗読⑥ あなたがここにいらしたのは、私が長年住吉の神に、娘の高い願いを叶えて下さいと

          願ったせいだと考えています。

「いととり申しがたきことなれば、わが君、かうおぼえなき世界に、仮にも移ろひおはしましたるは、もし、年ごろ老法師(おいほうし)の祈り申しはべる神仏の(あわれ)びおはしまして、しばしのほど御心をも悩ましたてまつるにやとなん思うたまふる。そのゆゑは、住吉の神を頼みはじめたてまつりて、この十八年になりはべりぬ。()の童のいときなうはべりしより思ふ心はべりて、年ごろの春秋ごとにかならずかの御(やしろ)に参ることなむはべる。昼夜の六時の勤めに、みづからの(はちす)の上の願ひをばさるものにて、ただこの人を高き本意(ほい)かなへたまへとなん念じはべる。

 解説

今の場面で入道は、随分と踏み込んだ所まで光源氏に語った。入道は言う。「光源氏様よ。あなた様がこんな田舎までお出でになったのは、もしかすると私の所為。誤解の無いように言い直させて頂くなら、私達が長きに渉って神仏に祈りを捧げてきたそのせいで、あなた様をこんな目にあわせて知れないと思わないでもありません。というのは、私共はこの辺りをお鎮めいただく住吉の神を長く崇め奉ってきました。今も春秋に年に二回ずつ住吉様に参詣しておりますが、18年になります。

 

入道の語りは更に続く。今度は一族の事をもっと遡って話す。

朗読⑦ 私は落ちぶれていますが、親は大臣でした。娘には貴人の妻となるよう将来の期待を

     懸けております。

(さき)の世の契りつたなくてこそかく口惜しき山がつとなりはべりけめ、親、大臣の位をたもちたまへりき。みづからかく田舎の民となりはべり。次々さのみ劣りまからば、何の身にかなりはべらんと悲しく思ひはべるを、これは()れし時より頼むところなんはべる。いかにして都の(たか)き人に奉らんと思ふ心深きにより、ほどほどにつけて、あまたの人のそねみを負ひ、身のためからき目をみるをりをりも多くはべれど、さらに苦しみと思ひはべらず。

 解説

親は大臣の位に在ったのに、私はこうして田舎の民になりました。このままいけば娘はどうなってしまうのでしょうか。この娘には生れた時から思う所があって、必ずや都の身分高き人に縁づかせようと、そう思って育ててきました。その話の中で、入道は光源氏に対してはっきりと言い切ることはしなかったが、娘を光源氏に縁付けたいと思っていること、長い年月祈りを捧げてきた住吉の神の御導きによって、光源氏とこうして縁が出来たと信じていること、この二つの事が話の端々に滲む。話を一通り光源氏に聞いて貰った入道の様子は、胸のつかえが取れてさっぱりとした思いだと書かれている。

しかし一方当の本人、つまり娘の方はどうであろうか。父入道が光源氏に縁付けることが出来たら、こんなに有難いことはないと思っていても、まだ姿を現していない。

 

この明石の地で育ち、今は田舎の民となっているけれども大臣の血を引き、何よりも音楽に抜群の腕前を見せるという女君は、どんな人なのか。次の様に描かれている。入道との音楽談議の一夜を経て、後日、光源氏から岡辺の入道の娘に手紙が届いた。娘はこんな風に受け止めた。

 朗読⑧ 娘の返事は手間取った。光源氏と自分の身の程を比べると躊躇したのである。

      仕方なく入道は自分で返事する。

御使いとまばゆきまで酔はす。御返りいと久し。内に入りてそそのかせど、むすめは更に聞かず。

いと恥づかしげなる御文のさまに、さし出でむ手つきも恥づかしうつつましう、人の御ほどわが身の

ほど思ふにこよなくて、心地あしとて寄り臥しぬ。言ひわびて入道ぞ書く。

 解説

父親が部屋に入ってきてまで、「さあ、返事を書きなさい」と促しても女君は筆を取ろうとしない。何故だろう。今の場面にこうあった。人の御ほどわが身のほど思ふにこよなくて、彼女は身の隔たりを感じて、筆を取る気にならないのである。

どう返事して良いのか分からないのである。彼女は気分が優れないと言って臥してしまう。オロオロするのは入道で、折角手紙が来たのにと、やむなく自分で返事を書くことになる。しかしこれが功をそうすることになるので、世の中は分からない。入道の手紙が光源氏の心を掴んでしまったというのか。そうではなくて父親の入道は、私の娘の楽器の演奏に興味が御有りでしたらそれを聞いて頂いてと、娘を光源氏の所に連れて行きますと言わんばかりの内容である。しかし光源氏の思いは違った。私の手紙に返事してこない、何と無礼な身の程を知らぬ娘がこの辺にいたとはと驚きもし、憤慨もし、もう手紙を送らなかったかというとそうでもなく、却っておやっと光源氏の心は相手に引き付けられることになる。

 

ここで翌日改めて光源氏から文を送る。すると今回は娘から和歌が返ってきた。それを目にした光源氏はこんな風に描かれる。

朗読⑨ 

手のさま書きたるさまなど、やむごとなき人にいたう劣るまじう上衆(じょうず)めきたり。

京のことておぼえてをかしと見たまへど、うちしきりて遣はさむも、人目つつましければニ三日隔てつつ、つれづれなる夕暮、もしはものあはれなる曙などやうに紛らはして、をりをり人も同じ心に見知りぬべきほど推しはかりて、書きかはしたまふに似げなからず、心深う思ひあがりたる気色も、見ではやまじと思すものから

 解説

筆跡や言葉使いなどは都の高貴な女人に引けを取るまいと思われる程である。京の事も思い出される。光源氏の心を捉えたのはどんな所であったのか。今の文章にも、心深う思ひあがりたる気色も と書かれている。思ひ上がる というのは、現代では 思い上がるのもいい加減にしろ と悪い文脈で用いられるが、そうではなくて 高い志を持っている という誉め言葉である。光源氏の方から声を掛けられ文を貰って、大喜びで飛んでくる訳でも或いは(へりくだ)る訳でもない。最初の手紙に返事をしなかった訳だから、光源氏の誘いを袖にするかのような振舞いをした。そしてそうした所、物語の

キ-ワ-ドで言えば、思ひ上がりたる心 自分を安売りしない高いプライドの持ち主。この人はただ物ではない、軽はずみに扱ってはいけない女性だと、光源氏の心を強く打ったのである。思ひ上がりたる心 こそこの明石の君の特徴なのである。他の女性と違う特別な女性である。

 

こうして二人の関係はそう簡単に深まる気配はない。その後の展開を見てみよう。

朗読⑩ 入道が光源氏をそれとなく誘う。光源氏は馬で女君の所に出掛ける。

十二三日の月のはなやかにさし出でたるに、ただ「あたら夜の」と聞こえたり。君はすきのさまやと思せど、御直衣(のうし)奉りひきつくろひて夜()かして出でたまふ。御車は二なく作りたれど、ところせしとて、

御馬にて出でたまふ。惟光などばかりをさぶらはせたまふ。

 解説

八月の十二三日に光源氏は惟光だけをつれて馬で、明石の君の住む岡辺の屋敷に行く。これは光源氏が明石の君のプライドを尊重した事でもある。こうして二人は結ばれた。光源氏が明石へやって来たのは三月。二人が結ばれたのは五か月経った頃であった。

 

そして年が明けた頃、都では朱雀帝の病、光源氏の夢に現れた故桐壺院が都に駆け上り、朱雀帝を睨みつけ以来の目の患いである。朱雀帝は終に決断した。

朗読⑪ また目が悪くなっていた朱雀帝は母の弘徽殿の女御に背いて、光源氏の京への帰還

     の宣旨を下した。

つひに后の御諫めをも背きて、(ゆる)されたまふべき定め出で来ぬ。去年(こぞ)より、后も御物の怪なやみたまひ、さまざまの物のさとししきり騒がしきを、いみじき御つつしみどもをしたまふしるしにや、よろしうおはしましける御目のなやみさへこのごろ重くならせたまひて、もの心細く思されければ、七月二十日余日のほどに、また重ねて京へ帰りたまふべき宣旨くだる。

 解説

彼にとっては人生で初めてといってよいであろう。母の弘徽殿の女御に背いて、光源氏を都に戻すようにと宣旨を下した。それは七月の二十日過ぎの事であった。光源氏が都を離れて足掛け3年の事であった。遂に光源氏は都の地を再び踏むことになった。それはこの明石の地で出会った人々、特に昨年の秋八月に結ばれた明石の君との別れを意味する。光源氏が二度と都に帰ることなくこの地に埋もれてしまったら、入道としては期待外れとなったことであろう。自分の娘の相手と見込んだ男が都に帰ることを光源氏以上に喜ぶ。それ、私の目に狂いはなかっただろうと。しかし一方で、光源氏が都に帰ってしまうと、娘はどうなるのか。置き去りにされたら。入道も明石の君もそれを喜んでいいのか、悲しむべきなのか。

 

このような複雑な心理を描かせた時に、紫式部の筆はその力を発揮する。実に天下一品である。

作者は読者の気配を察して次のような助け舟を出す。

朗読⑫ その頃二人は毎晩会っていた。明石の君は懐妊のようであった。二人は今後

      どうしようと悩んでいる。

そのころは()()れなく語らひたまふ。六月ばかりより心苦しき気色ありて悩みけり。かく別れたまふべきほどなれば、あやにくなるにやありけむ。ありしよりもあはれに思して、あやしうもの思ふべき身にもありけるかなと思し乱る。女はさらにもいはず思ひ沈みたり。いとことわりなりや。

 解説

光源氏に都に帰ってくるようにと宣旨が下り、その少し前から明石の君は体の不調、懐妊であった。身分差を考えると、明石に置き去りにされることも不思議ではない。そう考えると明石の君の心は

不安で一杯である。この後の展開は次回。

 

「コメント」

 

実に展開が目まぐるしく、当時の人々が熱狂したのはよく分かる。やはり紫の上のファンだな。